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2006年5月26日 (金)

官兵衛 動く 1

<戦国末期を生き抜く>
天文15年(1546年)、播磨国は姫路に生まれた
黒田官兵衛は、その生涯を野望と共に生き抜いた。
播磨の守護職・赤松氏の一族の小寺家に生を受け、戦国乱世の末期を確と凝視していた。
神童の誉れ高く、幼き日より世の動きを的確に捉えていた。
元服した頃、「今の世は、家柄なにするものぞ。 力こそ源ぞ。」とて、好機を望みに望んでいた。
だから、信長が京に上ると、好機到来とばかり馳せ参じ、その幕下の秀吉に荷担し、秀吉亡き後、天下を夢見た。
その飽くなき野望は、殆ど死の直前まで衰える事無く、執念であったと云えよう。
秀吉に仕えてから、小寺から
黒田官兵衛孝高と名を改め、朝鮮出兵の際、
秀吉の怒りに触れた時、それをかわす為、剃髪して
如水円清と号したが、隠居しても、なかなかどうして、その秘めたるものを消し去る事は無かった。
信長軍が、荒木村重の有岡城を陥した時、長い幽閉で苦労した
官兵衛はその労をいたわれ、播磨国の一部・一万数千石を与えられたのが、最初の領国である。
秀吉には天下取りに、絶大な力を発揮したのにも係わらず、その与えられた領国は、京より遠く離れた豊前中津十二万石のみであった。
いかに秀吉がその力量を恐れ、警戒したのが良く解る話である。
因みに、後の家康が、外様や豊臣恩顧の大名を、遠国に配置したのは是に倣っている。
事程左様に、その智謀は切れに切れ、冴えに冴え渡っていたのである。
秀吉に天下を取らせた人物が、その中枢から遠ざけられ、無為に日々を過ごす無念は想像するに難く無い。
有り余る才智ゆえ、多分に苦悩したに相違無い。
『あの猿めが』と何度呟いた事であろう。
晩年の
如水は、そのカリスマ性が益々際立ち、黒田武士軍団を結束させる為、わざと痴呆と躁鬱を演じて見せた。
『一子・長政は天下取りの器ではない。 されば、御家存続を第一義に勘案しなければならぬ。 それには、我が身を棄てねばならぬ。』
大殿の信望を貶め、若殿に衆目が結集する様な行動を心掛けた。
最晩年は、長政が関ヶ原の功により筑前五十二万石を与えられたので、筑前に移って居たが、嫌味ばかりを云って、家臣を辟易させていた。
運計り難く、世常ならむ。

>野望こそ 生きる証ぞ 水の如 

<荒木村重 謀反>
天正六年(1578年)、摂津の有力大名・荒木村重が伊丹の有岡城を拠点として、突如、信長に反旗を翻した。
信長は本性として人を信じる人では無い。 その信長が生涯、心を許した人物が3人居た。
1人は妹婿の浅井長政であり、1人は明智光秀であり、もう1人がこの荒木村重であった。
信長はこの3人共に裏切られているのだが、村重謀反との報を受け、「それは何かの間違いじゃ。確と確かめよ。」と始めは取り合わなかった。
やがて、それが事実と解るや、「惜しい男よのう。殺すに忍びなし。誰か使いを遣り、恭順致さすべし。」と仰せ出した。
この一言には周りが驚いた。
こういう時は、憤怒の相で「小癪な! 一族根絶やしにせよ!」と云うのが信長の常である。
それを村重に限って、命を助けると云うのである。
如何に信長が村重を買っていたかが解ろうと云うものだ。
その使者に
官兵衛孝高が立てられた。
官兵衛は村重と誼があり、自分の一族である小寺氏が村重軍に加わっていたからであった。
調略が上手くいかなければ、信長のことだ、
官兵衛の命は無い。
時に32歳。 頭脳を巡らせ、一子・幼少の長政を人質に出してから、背水の調略交渉に有岡城に乗り込んだのである。
「此度は、上様より御沙汰の言上に参上仕った。 直ちに陣を解き、帰順致すべし。 良からぬ風評で一時の迷いを生じたのであろうが、村重殿の事じゃ。引っ込みが付かなくなって居るのであろう。それだけで、殺すのは惜しい、と上様は仰せなさって御座る。」
孝高殿、申されるな。 一時の迷いでは御座らぬわ。 このまま経緯すれば、何時か我が荒木家は取り潰されるわ。 右府様の是までの為され様、我が身に振り返れば、目に見えておるわ。」
「是までは是までの事。 今の上様は天下を手中になさる御方じゃ。 手荒な事は手控えなさる御所存ぞ。 まして、村重殿の力量、高く買っておいでじゃ。」
「いんや、
孝高殿こそ、右府様に誑かされてはなりませぬぞ。 右府様が今まで、反旗を挙げた者を許した試しが無いでは御座らぬか。 一族郎党、根絶やしの沙汰ぞ。 何の、我等がこれから、石山本願寺と結んで、四国・中国の大名と糾合すれば、右府様の天下取りは叶わぬわ。」
「村重殿、ここは熟慮致されよ。 天下の趨勢、上様に靡いて居る事は、是必定で御座る。 我を張っては却って、御家の為になりませぬぞ。」
「なんの、武士には武士の生き方が御座る。 ここで翻っては、我が面目が立ち申さぬ。 それより
孝高殿、我が陣には貴公の縁戚も馳せ参じて居る。 どうじゃ、我に加勢せぬや。」
「これは異な事を。 村重殿がこちらに靡かぬに、如何でかこの
官兵衛が寝返れましょうや。 御言葉に気を付けて下さりませ!」
「されば、決裂じゃのう。」
「村重殿、今の世を真っ当して行くは相身互いで御座ろう。 此処は少し、頭から血を引こうではないか。 今夜は御城内に留まる故、明日又、談じよう。」
「幾ら話しても埒は開かぬわ。 されど、留まり度いなら勝手に致せ。」
官兵衛は、引き連れてきた軍勢数百を有岡城外に露営させ、自身は1人城内に留まった。

>畢生の 岡を登りし 道半ば

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